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COLUMN
お役立ちコラム
2023.09.10

「アラン・チューリング」

皆さん、アラン・チューリングをご存じでしょうか。こんにち私たちが恩恵を被っているコンピュータ理論(理論だけでなく実際巨大な計算機を自分で作った)やAIの概念を提唱したイギリスの数学者です。どんな人だったか、その足跡を簡単に見て行きましょう。詳細はWikipediaを参照ください。

改めて、アラン・チューリング(Alan Turing)は、20世紀のイギリスの数学者、暗号学者、哲学者、計算機科学者であり、現代のコンピュータ科学と人工知能の基盤を築いた重要な人物です。彼は、1912年6月23日イギリス/ロンドンに生まれ、幼少期から非凡な数学的才能を示し、ケンブリッジ大学で数学を学び、その優れた能力を早くから発揮しました。特に計算可能性理論において革命的な業績を挙げました。博士論文「On Computable Numbers」は、計算とアルゴリズムに関する基本的な理論を提示し、チューリングマシンと呼ばれる抽象的な計算機モデルを提唱しました。これは現代のコンピュータ科学の基礎となり、コンピュータの動作原理を理解する上でとても重要です。

映画(イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密、2014年)でも詳しく描写されていますが、第二次世界大戦中、彼はイギリス政府の秘密プロジェクトの活動拠点であるブレッチリー・パークで働きました。ここで、ドイツのエニグマ暗号を解読するため200台以上のbombe(簡易計算機)を実装し、連合国の勝利に貢献しました。この業績により、彼は戦後多大な評価を受けましたが、その存在は長らく秘密にされてきました。戦後も彼はコンピュータ科学の研究を続け、人工知能の概念を提唱したり、「チューリング・テスト」と呼ばれるアイデアを発表し、これは人間(知的活動)とコンピュータの能力を区別するための基準として現在でも広く受け入れられています。更に、生物学にも興味を持ち、反応拡散方程式を用いて生物学的なパターン形成の理論(チューリング・パターン)なども提唱しました。

しかし、1952年にチューリングは同性愛行為が違法であるという当時のイギリスの法律により逮捕され、化学的な去勢療法を受けるか刑務所に服役するかの選択を迫られました。この事件は彼の人生に暗い影を落とし、1954年自殺によって亡くなってしまいました。46歳でした。2013年にエリザベス女王によって復権しますが、彼の死は地球上の全ての人にとって痛むべき悲劇です。人類の宝ともいうべき頭脳を、何と犯罪者として裁いてしまったのです。愚かとしか言いようがありません。アラン・チューリングの名前は永遠に記憶され、称賛されるべきです。せめてもの救いは、「チューリング賞」というコンピュータ科学最高の栄誉は、彼の功績にちなんで名付けられたことでしょうか。天才の運命とは何とも奇妙なものですが、どんなに奇人であろうと人権は絶対に守らなければならない、と強く認識した次第です。彼の人生は我々に多くの示唆を送ってくれているように思います。

2023年9月10日

現代の天才が何者にも邪魔されず輩出されることを願って

本郷 茂